前座などが教わっていない噺を高座で披露する

Writer: admin Type: 友人関係の悩み Date: 2019-03-06 00:00
前座などが教わっていない噺を高座で披露するのはいけないとか言われるけど、三遊亭圓生なんか教わってもいない噺を先輩落語家が高座で披露しているのを見よう見まねで覚えてもちろん誰も稽古付けてもらっていないのに高座にかけたという逸話もあるから、前座に限らず教わっていない例えば芝浜などの演目でもじゃんじゃん高座で披露していいんじゃないですか?共感した0###高座の舞台袖で、「盗む」のも稽古だという話があります。師匠に見せずに高座にかけるという事はできないと思います。それやって、破門を勧告できるのも師匠の権利です。破門されれば落語会からの追放を意味しますからちょっとできないですね。素晴らしい出来で認められる自信があるならやってみることもあると思いますが認められるのは稀でしょうね。そんなことがジャンジャン始まったら?何のための師匠かわからないしね。客もいきさつを知ったら「舐めてる」と思うだろうからね。散々な結果になれば、監督不行き届きで師匠もペナルティがあるかもしれません。だからジャンジャンは無いのです。ナイス0
###客としては嫌ですね。そういうのが希望なら立川流の寄席にいけばいいと思います。ナイス0
###>前座などが教わっていない噺を高座で披露するのはいけない前座さんはまず、師匠からキッチリ稽古してもらって、落語の基礎を覚えるんですね。基礎の無い未熟な人が勝手に噺をお覚えて勝手にやったら、どうなるでしょうか?直に稽古してもらわなくとも色んな噺が出来るのは、基礎をきっちり習得して応用力が付いた真打になってからです。しかし、勝手にやってはいけないのが伝統芸能の慣例で、その噺を演じていて現存している大元の噺家に見てもらって断りを入れるのが通例で、礼儀でもあります。そうやって落語は伝承されてきました。六代目圓生や桂米朝など、滅んだ噺を復活させるのはその人の力量によるもので、その噺はその復活させた人がその時点で大元となるんです。復活させる努力と労力を尊重しなければならないからです。圓生の逸話で、ある後輩の噺家が「竹の水仙」をやった、それを聴いた圓生は、その後輩に頼んでその噺を稽古してもらったそうです。(稽古と言っても、その噺家を前に座らせて、一席、目の前でやらせるという事です。その後圓生がその噺を演じた記録はありませんが)先代可楽が十八番の「らくだ」を長講の放送用に延ばすために、圓生全集を参考にさせて欲しいと、圓生に断りを入れたと云う話もあります。落語には著作権はありません。東西を問わず噺家全員の共通の財産だから、前座は前座、二つ目は二つ目の噺があります。その秩序を守っていかなければ収集が付かないからです。ナイス0
###橘家圓童時代には、あったようですね。また古い噺を記憶を頼りに復活させる場合もあります。芸の継承という古い伝統もありますし、それに対して記録メディアの普及もあります。ただ他の芸と違って「無料の稽古」ですので、じゃんじゃん稽古をつけてもらう野心も大切だと思います。ナイス0

 

TAG