歌舞伎の家柄?

Writer: admin Type: 友人関係の悩み Date: 2019-03-06 00:00
歌舞伎の家柄?について歌舞伎はまったく詳しくないので教えて頂きたいのです。 歌舞伎は家の格が大変重要な世界だと思いますが下記の方々を歌舞伎の家柄で高い順に並べるとしたらどういうふうになりますか? 中村勘九郎さん、市川海老蔵さん、中村芝翫さん、尾上菊五郎さん、松本幸四郎さん、市川猿之助さん、坂東玉三郎さん・・などまた、屋号などがあるとおもいますがそれはどうやってつくのでしょうか?意味があるのでしょうか?詳しい方宜しくお願いいたします。共感した1###歌舞伎役者としての家の格、ざっくりと私は市川海老蔵(成田屋)が一番上中村勘九郎(中村屋)中村芝翫(成駒屋)尾上菊五郎(音羽屋)ほぼ横一線坂東玉三郎(大和屋)松本幸四郎(高麗屋)ここも微妙市川猿之助(澤瀉屋)この中では明らかに一番下ではないかと思います。あくまでも個人的な意見。勘九郎、玉三郎は座元の家柄なので別の見解もあるかと思います。役者の格は違います。これは歌舞伎座とかの公演チラシの役者連名を見れば一目瞭然。屋号にそんなに深い意味はないと思っています。それぞれに特徴を出そうと始まったかと。もともと名字の無かった?人々でしたから。ナイス0
###因みに挙げられた役者さんたちはみんな主役かそれに準じた役を務めるいわば特Aランクの人たちばかり。順番を付けるとすれば年功序列しかない。もしこれら役者が全て共演すれば配役表は1菊五郎(書き出し)3玉三郎5猿之助7勘九郎6海老蔵4芝翫2幸四郎(留め)みたいな感じ。7の位置に3番手の役者を持ってくることもあります。その場合は中軸と呼ばれ1と2を両脇に揃えて自分は真ん中に収まる、つまりセンターを取った、と満足するんです。
###歌舞伎は難しそうですが、梨園の世界は色んなドラマも隠れているようでおもしろそうですね。お答えいただいたお二方、本当にありがとうございました。ベストアンサーを決めるのは心苦しいのですが・・沢山お答えくださったnip***さんへ。 rin**さんもありがとうございました!お答えいただき嬉しかったです。###家の格は、明確な基準があるものではなく、人々が「格上だと思う」という感覚の問題だと思いますが、その判断基準は歴史の古さや、先祖がどれほどの人気役者だったかなどだろうと思います。そういう意味で歴史の教科書にも載っている江戸歌舞伎最初のスターであった初代市川團十郎から始まる市川團十郎家は、歌舞伎界の市川一門の宗家であり、特別な家です。また二代目松本幸四郎が市川家の養子となり四代目市川團十郎を継ぐなど、その市川團十郎を支えてきた松本幸四郎家も重要な家です。また歴史の古さだけが重要ではないです。尾上菊五郎家も歴史ある家ですが、團十郎よりは後の時代です。しかし、明治時代に五代目尾上菊五郎という名優が出て、大正昭和時代に六代目という名優が出たことで、より格が高くなったといえます。歌舞伎の家柄出身ではないので、坂東玉三郎さんの場合は守田勘弥という歴史ある名の方の養子ですが、養子でもあり守田家の格がどう、というような見方はされません。ですが、現在の女形の最高峰です。名優が出れば家の立場も重くなり、いい役者が出ないと歴史ある家も影が薄くなりますから、単純に家の格の高い順ランキングはつけられません。私はランキングに興味がないので、自分なりに順位をつけることもありません。こちらに、屋号の始まりについて説明があります。↓歌舞伎役者の屋号一覧https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E%E5%BD%B9%...基本は家代々で屋号も受け継ぎます。ですが例えば、市川右近(澤瀉屋)は、市川右團次を襲名して高嶋屋になりました。役者として認められ、昔の有名な役者の名跡を継いだので、その役者さんの屋号も一緒に継いだのです。ところが、同時に右團次の息子が二代目市川右近を継ぎましたが、市川右近は澤瀉屋の名なので、父は高嶋屋、息子は澤瀉屋です。中村歌六、中村又五郎兄弟は屋号を変えています。もともと初代中村歌六が播磨屋作兵衛の養子だったので「播磨屋」を名乗っていて、その後、孫の中村吉右衛門が播磨屋のトップになり、吉右衛門劇団と呼ばれますが、叔父の初代中村錦之助らがそこから独立するように他の役者の一座に出るようになったときに、「萬屋」に変えます。しかし、近年二代目吉右衛門の一座に参加することが多くなり、播磨屋の一門を担う存在として兄弟で、さらにその息子たち共々、「播磨屋」に変えました。こういうケースもあり、単純に家毎に屋号が決まっている、というのでもないです。ナイス0

 

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