第九の歓喜のメロディーは既に第1楽章から現

Writer: admin Type: 友人関係の悩み Date: 2019-03-06 00:00
第九の歓喜のメロディーは既に第1楽章から現れていると言うのは本当ですか?つまり、第1楽章の第2主題、第2楽章の第2主題、第3楽章の第1主題は歓喜のメロディーにそっくりで、第3楽章のは調まで同じだというのですが本当でしょうか?言われてみれば、そんな気もするのですが真相はどうだと思いますか?共感した0###キミは、熱でうなされた夜、天井のシミが悪霊に見えたことはないか?キミは、誰かが撮った写真で、ここのこれは地縛霊だ、という記事を見たことはないか?それを、キミはどう思ったか?「なにをバカなことを!」それと同じだ。あと、「第1楽章の第2主題」、どこを指しているのかという点でも、それを書いた人は認識が間違っている。ナイス0
###なるほど。よく分かりました。###そもそも、ベートーヴェン自身は、最初はこの交響曲に合唱を入れるつもりはなかったんですよ。もし、質問文に書かれているように、ベートーヴェンが第4楽章の主題と先行する3つの楽章の主題とを関連付けようとしていたなら、作曲最初から今の第4楽章を想定していないと出来ないことですよ。しかし実際は、ベートーヴェン自身は当初、今の「弦楽四重奏曲第15番」の第5楽章の主要主題を、この交響曲のフィナーレ主題にするつもりでいたんですよ。要するにベートーヴェンは、最初の時点では、今の第4楽章とは全く違う音楽を書こうとしていたんです。第1楽章や第2、第3楽章を書いていた時点では、ベートーヴェンの頭の中に、この「歓喜のメロディー」は想定していなかったんです。でね、もっと言えば、この「歓喜のメロディー」といわれれるものは、ベートーヴェンの若いころのスケッチ帳に、似たような旋律が既に書き留められていたんです。従って、第1~第3楽章の主題を参考にして、後から「歓喜のメロディー」を書いたということもないの。第9交響曲を書く遥か以前から、この「歓喜のメロディー」のようなものは、ベートーヴェンの頭の中にあったわけです。ということで、これらの主題が似ているように聴こえたとしても、それは全くの偶然であって、ベートーヴェンが計画性を持って構想したわけではないということです。結論:全くの無関係です。ナイス0
###第1楽章の第2主題というのは、木管楽器の穏やかな音型のことでしょうか。ここが第2主題かどうかは解釈が分かれるかもしれません。主題ではなく導入だという人もいます。しかし、「歓喜の主題」の上行・下行という山型の進行とはたしかに似ています。第2楽章の第2主題も上行・下行という点で共通しています。この楽章では中間部のフレーズも似ているといわれています。第3楽章の第1主題は変ロ長調で「歓喜の主題」とは似ていません。調まで同じということからすると、第2主題ではないかと思います。ここは「歓喜の主題」の後半部の進行と似ていますね。以上からすると、本当といっていいと思います。まあ、「第1楽章から現れている」というのがいいか、「前段階で兆しもしくは萌芽として示していたものがフィナーレで実現・統合される」というのがいいか、というところはありますが。ちなみに、交響曲の各楽章の主題間に関係性をもたせるのはベートーヴェンが始めたようなもので、以降の交響曲も追随するものが多くなっています。マーラーやショスタコーヴィチなどもこういう聴き方をしていくと面白い発見があるかもしれません。ナイス0
###歓喜のメロディはニ長調の音階なので、他の楽章で使われているフレーズで長調の音階が入るとそれに聞こえてしまうというのはあると思います。例えば第二楽章の最後のレ~ミーファー、ソラソッソファッファッミというフレーズの後半は歓喜の歌のファファソラ【ラソファミ】の部分とかぶります。ナイス0
###うそです・・・###少し参考ながら確かに第一楽章から第三楽章までのは第一楽章の第一主題が繰り返されているような感じがします。しかし、それは第4楽章の頭で否定されてしまう感じです次に、最初の主題が出てきて、発展しシラーの詩の歌へとなるのではないでしょうか。つまり、ある意味の生まれ変わり、シラーの言うところの歓喜(人間の絆)でクライマックスとなります。一番は、シラーの詩の意味、作曲した時のベートーベンの気持ち(生きている辛さと幸福)、そこが決め手になると思います。ともすると、盲目的に人類の幸せと言うような人がいますが、人間で有る以上、自分の幸せを求める、と私は思います。ナイス0

 

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